結局、ポップカルチャー。

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又吉直樹『劇場』

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一気に読ませる軽やかさがあるにもかかわず、その内容に胸が苦しくなって、思わず一度本を閉じて深呼吸をひとつ。

『劇場』を読んでいて、何度この動作を繰り返しただろうか。

 

先に読んでいた友人が二人いたので、どうだったか聞いてみると、評価は半々だった。

ある人はとてもオススメだと言っていたが、ある人は「君の名は。」が好きな人は好きそうという痛烈な皮肉を発していた。(とは言え、「君の名は。」もあれだけロングランの大ヒットを記録したわけだし、作品として評価した上で「私には合わなかった」という意味での皮肉ではあるのだろうけど。)

周りの評価が半々だったこともあり、又吉直樹の処女作『火花』は良作だとは感じたものの感動までは至らなかったこともあり、そこまで期待せずに読み始めた。

結論から言うと、まんまと感動させられてしまった。

周りからはあくまで恋愛小説としての評価しか聞いていなかったし、本作の帯文も

かけがえのない大切な誰かを想う、切なくも胸にせまる恋愛小説。

と書かれていることからも新潮社としても恋愛小説として売り出していることがわかるのだが、私としては演劇という夢を追い続け、成功を掴みとることのできない男の物語であったし、夢を追い求める場としての東京という都市の特異性を描いた都市小説であった。

 

主人公の永田は、「おろか」という無名の劇団を主宰しているが、演劇への拘りが強く、学生時代の友人・野原以外の劇団員とは仲違いをしていまうほど、人とコミュニケーションを取ることは不得手な人物として描かれている。

夢を追い続けながらも、目に見えた努力をしているわけでもなく(もちろんコンスタントに公演をしているという意味では努力しつづけているわけだけど)、彼を肯定してくれるのは恋人の沙希だけ。

そんな永田の状況が、夢を捨てきれないままに仕事をしている自分と重なり、胸が苦しくて仕方がなかった。

客観的な視点から永田を見ると、定職にも就かず、周りの意見には耳も貸さず、かといって自分の生み出すものは評価されず、どうしようもない人間である。読んでいて、彼の行動に憤りや苛立ちを感じることすらある。

そんな永田に感情移入をするまい、絶対にするまいと思いはするものの、しっかり感情移入させるところに、又吉直樹の文章力の高さが伺える。

 

特に私が胸を締め付けられた文が、P.145の以下の一節である。

 自分の悪い所なんていくらでも言える。才能のないことを受け入れればいい。嫉妬している対象の力に正々堂々とおびえればいい。理屈ではわかっているけれど自分では踏みきれない。人に好かれたいと願うことや、誰かに認められたいという平凡な欲求さえも僕の身丈にはあっていないのだろうか。世界のすべてに否定されるなら、すべてを憎むことができる。それは僕の特技でもあった。沙希の存在のせいで僕は世界のすべてを呪う方法を失った。沙希が破れ目になったのだ。だからだ。 

世界を全部否定し、憎むことは簡単だ。自分のことを認めてくれない世界がおかしいと決めつけることで、自分を守ることが出来る。

しかし、世界のなかに沙希という愛すべき存在を見つけてしまったことで、永田は世界を憎むことも出来なくなってしまった。その結果、自分の才能のなさを認めることも、才能のある人物に嫉妬することも出来ず、彼の葛藤や苦しみは宙に浮く。

 

そんな中途半端な境遇に置かれて、今感じている苦しみを「お前のせいやろ」と沙希のせいだと決めつけてしまう永田の弱さに、自分のなかの弱さを目の前に差し出された気持ちにさせられて、苦しくなってしまった。

 

これまで書いてきたように、演劇を通して夢を追い続けることの苦しさを描いた小説として、『劇場』は秀逸だ。

恋愛小説としては永田にも沙希にも言いたいことは山ほどある。しかしそれを帳消しにするほど、物語のクライマックスの二人の別れは切なく描かれている。

東京を離れて故郷の青森で生活していくことを決めた沙希と、東京で演劇を続けていく永田との別れは、その状況だけみるとありふれたものであり、たとえば私が書いたら陳腐なものになりかねない。

それを胸を締め付けるほどの切なさをもって、描くことのできる又吉直樹の文章力には脱帽せざるを得ない。

帯文にも大々的に書かれている

一番会いたい人に会いに行く。こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな。 

 の台詞がこんなに切なく響くとは、読み始めた段階では思いもしなかった。

物語のなかで二人は別れてしまう。しかし、その先の将来については描かれていない。

だからこそ永田が「だからな、今から俺が言うことはな、ある意味本当のことやし、全部できるかもしれへんことやねん」と前置きしてから話した未来が、これからの二人に訪れることを願ってやまない。

 

余談だが読んでいて映像が浮かぶような文章を書くことが又吉直樹の文章の魅力のひとつだと思うのだが、『火花』『劇場』とどうしても主人公を又吉直樹本人として読んでしまうため、一度女性が主人公の作品も読んでみたいと感じた。