結局、ポップカルチャー。

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秦基博『僕らをつなぐもの』

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歌い出しの一行でその曲の世界へと引き込む魔法のような曲が、数は少ないけれど、この世界にはある。

そしてそんな曲に出会えたとき、今まで生きていてよかった、と大げさじゃなく思えるほどの感動を覚えるのだ。

 

秦基博の「僕らをつなぐもの」は、そんな魔法のような曲のうちのひとつである。

彼が発表してきた数々の楽曲のなかで、「ひまわりの約束」や「アイ」、「鱗」などの誰もが知っている代表曲というわけではないが、私のなかでは確実に秦基博史上No.1の楽曲である。

まず前提として私は、情景描写が巧みというか、聴いていて情景が目に浮かぶような歌詞を持つ楽曲がたまらなく心を惹かれてしまう。

そんな私にとって「僕らをつなぐもの」の歌い出しの書き出しは珠玉の一行であると感じられる。

 

月灯りかと思ってみれば 変わる間際の黄色い信号

 

どうだろう。このフレーズを聴いて、以下のような情景が浮かんで来ないだろうか。

 彼女の家に向かっている夜、なんとなく俯きながら信号を待っていると、自分が黄色い明かりに照らされていることに気づく。月の明かりかと思い、顔を上げると、黄色を灯している信号機が目に入る。季節は冬だろうか、口からこぼれた息が白く浮かび、消えて行く。そして、信号機は黄色から赤へと変わり、歩行者用の信号が赤から青へと変わる。

 だが、ふと信号の明かりから、彼女とのこれまでの思い出が次々と蘇ってくる。そして、男は青にも関わらずなかなか足を前に踏み出すことができない。

そんな情景を私はこの書き出しの一行から想起させられる。もちろん秦基博がどんな思いを込めてこの楽曲を作ったかは知らない。もしかしたらどこかのインタビューを調べれば出てくるのかもしれないが、感じたことが全てだと思うため探すこともしていない。 

とにかくこの一行の楽曲へと引き込む力はすさまじい。

この一行を聴かせることが出来た時点で、秦基博の勝ちだ。

 

この曲の主人公は、彼女の家と向かっている男性である。そして変わる間際の信号をふと見つけたがきっかけで、彼女とのこれまでの些細な、しかしながら幸せな記憶が蘇ってくる。例えばそれは信号待ちの間の短いキスであったり、ポケットのなかで繋いだ指先の温もりであったり、男性のハナウタが彼女にうつったりといった、ありふれていながら唯一無二の記憶である。

しかしそんな甘い記憶をなぞっているにも関わらず、男性はどこか不安げである。

 

でも たぶん この街灯のように ただ

弱々しく 頼りない光の下に 僕らいて

 

そう。彼は、僕らをつないでいるもの、つまりこの恋が、太陽のような絶対的なものではなく、月のような全てを包み込むようなものでもなく、街灯のように弱々しく、頼りなく、ともすれば光が切れてしまうものだということに気づいているのである。

だから「ねぇ この先もずっと あの花を見れるよね?」と無邪気に尋ねる彼女に対してうなずくことしかできない。

 

そして、

僕らをつないでいるものは 不安を塞ぐように キスをするんだ

ねぇ 揺れる雲に月が隠れてしまう前に 帰ろう

今 君の家に向かう途中

 と光に照らされなくなることにどこか怯えながら、彼女の家に向かっているのだ。

 

書き出しの一文も秀逸だが、曲を通して描かれる恋の儚さを、しかも別れを持ち出さずに描ききった秦基博の作詞能力にはただただ脱帽する他ない。

間違いなく秦基博最高の一曲だと、私は思う。